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シンガポールに学ぶ、強みの変革と独自のブランドの創造

2017/11/22(最終更新日:2020/07/28)

ブランディング

先日、都知事である小池百合子氏がシンガポールで講演を行なった。テーマは「国際金融都市・東京」。大手金融機関の顧客向けセミナーに登壇し、海外の金融系企業が東京に進出しやすいよう環境整備に取り組む考えを話したと報じられている。

近年のシンガポールの発展は目覚ましい。このような国際的な金融関連セミナーが開催される国になるとは、かつて誰が予想しただろう。とくに金融面においては東京を差し置いて「アジアの中心」という見方もあるほどだ。その成長性は多くのメディアで伝えられているが、あらためて歴史をふりかえるとダイナミックに戦略を変え、国の強み、ひいては自国のブランドを変え続けていることがわかる。挑戦し続けるその姿勢が、国際社会からの信用を生み出し続けている。

1965年、シンガポールはマレーシアより独立した。外務省のデータによると2016年6月時点で人口は約561万人(うちシンガポール人・永住者は393万人)。面積は約719平方キロメートルで東京23区と同程度だという。ちなみに23区の人口は約930万人だから、比較すると国としては小さいことがわかる。これといった資源もないため、データだけを見ると経済成長しにくい環境にあると言えるだろう。
しかし、そのなかでも姿形を変えながら成長を続けているのがシンガポールだ。経営コンサルタントである大前研一氏の著書『クオリティ国家という戦略 これが日本の生きる道』には、経済成長面において戦略を幾度となく変化させている同国の軌跡が描かれており、大変興味深い。

同著よりその歴史を紐解いてみる。独立後、60年代のシンガポールは電化製品の組み立てなど、いわゆる下請けビジネスを中心に行なっていた。またあわせて海外企業誘致のため法人税率引き下げなどを実施している。国はまだ生まれたばかり。雇用の創出と合わせ外資系企業が集まりやすい環境を整えている段階だ。

70年代はそのような低付加価値の労働集約型ビジネスから脱却。ハイテク産業 を中心とした高付加価値型ビジネスにシフトした。この頃は右肩上がりの経済成長を誇り成長軌道に乗っていたが、85年にはマイナス成長を記録。その際にまた戦略を大きく変更した。それまではものづくりを中心にビジネスを展開していたが、この頃から金融や通信といった分野を強化。前述した「アジア金融の中心」の基礎はこの頃に築かれ始めたのだ。
00年代に入るとこれに加え電機、化学、バイオ、医療などを強化。いわゆる知識集約型産業の育成を重視している。60年代の労働集約型とは真逆のビジネス展開を行なっていることがよくわかるだろう。

この頃になるとシンガポールは世界から大きく注目され始める。ただそれは前述した法人税の低さや成長性の高さだけではない。アジアの「ハブ」としての価値を認められたのだ。同国の周辺にはタイ、ベトナム、マレーシア、そして中国など、成長著しいアジア各国が軒を連ねている。そのような国々に進出する際の足がかりとしては、地理的にも法的にも非常に使い勝手が良かった(そのためか、冒頭のような国をまたいだ金融のイベントが開かれるようになった)。
シンガポール自身もそれを意識した戦略をとり、とくに近年はアジアのハブとしての機能を拡充するよう注力している。24時間開港しているチャンギ国際空港は06年にアジア初のLCC専用ターミナルを開設。その他にも外資系企業の研究開発を重点的に支援する施策を実施したり、教育においても世界の有名大学のキャンパスを自国で開くよう積極的に活動したりして「人」の誘致も積極的に行なっている。またこれらと並行し05年にはカジノも解禁。その成功は周知の通りだ。

このように歴史も資源もない、人口も少ないという状況から工夫を重ね、成長を実現しているのがシンガポールである。必要に応じ思いきりよく姿を変え「アジアのハブ」「多様な企業が集まる」「知恵や人が集まる」といったブランド力と実績を、わずか50年強の間に形成した。自国に何もなくても外部から資本を呼び込むことで国を繁栄させるという、独自の戦略を描いているのだ。

ひるがえって現在の日本はどうだろう。日本には良いもの、すなわち各地に名産品や観光資源など特徴的なものがあっても、それをうまく活かせていないケースは多い。シンガポールは0から事業を育てる手腕だけでなく、その見せ方や外部への発信の仕方もうまい。そのうち欧米での「アジアの代表的な国」といえば中国や日本ではなく、シンガポールを指すようになってしまうのではないだろうか。

このような状況は非常にもったいないと思う。日本はGDPにおいて現在世界3位の経済大国ながら、将来的にはそれも危ういものになってしまうかもしれないだろう。「人がいないからダメだ」「地元には発信できるものがない」と嘆く人も多いが、シンガポールのように頭を使い戦略的に計画を遂行することで、大きな成長を遂げるのも不可能ではないはずだ。
もう少し小さな規模感。例えば各自治体の動きを見れば、地方創生が始まってから企業誘致に力を入れ、対外的な PRを重ねる場所も多くなりつつある。しかし、それらの事例も国内企業の工場やオフィスの増設がほとんどで、海外企業を誘致するには至っていない。ダイナミックに変革し生き残りを考える事例が、もっと多くあってもいいと思うのだ。

駆け足でシンガポールの変遷を見てきた。その意思決定の早さ、また成長性には著しいものがあるので、このままでは日本の先をいってしまうだろう。日本はかつて工業立国として栄え、ものづくりにおいて「信頼」をブランドとして成長を重ねてきた。しかし、それも過去の話。国、自治体、また企業などすべての組織が、このような変革と成長を重ねる国に学ぶべきだと思うのだ。それが結果的に繁栄へとつながるのだから。

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